私(の過去)
だいたい年代順です。
著作権などのこと、責任はすべて私にあります。
まあ、忘備録です。
ですから、曲目も、あまり書きません。
社会人になってからのあたりは、チョット刺激的ですから、小さい子は見ないように。
実は、何度も読み返しています。
書き直そうと思う部分もありますが、「まあ、焦らずに、ゆっくりと」と思っています。そろそろ、ライフワークでもあります。
リクエストを受け付けます。まあ、無いだろうけど。
中学3年生
まず最初は、これです。
中学3年生ですからね。15歳です。
そう、今から40年以上も前です。
当の本人は、すっごく当り前に弾いたつもりですが、聴いてみると、すっごくあせって弾いているので、演奏としては好きではないんです。
でも、当時はこんなものです。
思えば、変な中学生だったと思いますよ。
ピアノを習いだしたのが、3歳(4歳の誕生日前)でした。
それから、保育園、幼稚園、小学校を4つ、中学校を2つ、高校を2つ行きました。大学は1つ。企業を2つ。
始めは、ヤマハの音楽教室で、転校のせいで同じ先生に長く継続して習うことができなくて、途中で姉(中学校の音楽+αの教師になりました)に習ったりして、中学校の3年生まではいわゆるピアノの先生に習いました。
まあ、普通の子供ならば、学校から帰ったら外で遊ぶものだろうに、その時間にピアノの練習をしているんですから。転校も繰り返すし、友達も何も、できたもんじゃない。
ビアノを習っていると、女性(女の子)との接点が多いと思うでしょ?
・・・
そんなことはありません。私に限っては、まったくありません。
・・・
でも、今から思うと、その時は楽しかったし、もっと練習しておくんだった。
今から、少しでも挽回です。
・・・
上の演奏は、中学校3年生になる時に転校して、転校先の新しいピアノの先生のもとでの演奏です。
中学3年生になる時に,転校しました。
転校先(熊本県水俣市)が,私の「運命の地」ですかね。風光明媚な,良いところです。
転校先の中学校の音楽の先生(男性)が,言わば私の「運命の人」です。
とても洒落た先生でした。
ここから,私が始まった,と言っても過言ではありません。
そうそう,中学3年生の時,「八代亜紀を教えた」,という英語の先生に教えてもらいました。
念のため断っておきますが、歌い手の方ではありませんよ。念のために。
この伴奏が「私」のすべての始まりです。
だから、デビュー戦みたいなものです。
ちなみに、このソプラノが私の「ソプラノ」の基準です。
で、次はこの曲です。
これも、中学3年生。
うーん、よくここまで弾いたなあ。
今では、とても(怖くて)弾けません。
まあ、私の伴奏で歌いたい!という人もいないけど。
この時は、県で1位でした。独唱が、ですよ、もちろん。
その時の写真もあるんですが、この方(歌っている方ですよ、もちろん)は、まだ現役なので、ひかえさせていただきます。
2017年4月3日追加
そうか!私の写真ならば,私の意志で載せて良いんだ。
・・・
載せちぁえ!
向かって右には,あと二人(一位の独唱者:女性と,お世話になった中学校の音楽の先生:男性)います。
実は、中学校3年生でのコーラス部で歌っている写真、ってのもあるんですけどね・・・。坊主頭ですからね・・・・。
止めときます。
見たい?
ウーン,考えとく。
2017年5月5日追記
こどもの日記念?で大サービスです。
いやー、この時は緊張しましたね。
高校1年生
これが高校1年生。
指揮は、当時の音楽の先生(内田?先生)です。
初めての経験で、必死で弾きました。テレビにも映りました。
先生から、「音楽は仕事じゃない。音楽は心から楽しまなくちゃ」を教えてもらいました。
それが難しいんだなあ。
だって、・・・・。
この時は、県代表でした。九州代表にはなれなかったけど。
今聞くと、「余分なパッションばかりだなあ」と思います。
ミスタッチは許すけど、ウソを弾いたらいかんな。
今も反省しています。
同じく高校1年生の時。
音楽の先生が急に(寿)退職して、次の先生がこのようなコンクールには出ない主義?の人だったので、何と!当時の部長(3年生)が指揮をしています。
県予選は通りませんでした。
良い勉強でした。
この曲は難しい。本当に難しい。ピアノも歌も。
大人じゃなければ、弾けないな。
でも、ウソは弾いていません。
余談ですが、この2曲目は「若者たち」という題名なんですが、「成人式で歌ってもらえないか」という要望?をいただいて、「それはチョット・・・・」とお断りした思い出があります。
余談です。
YouTubeに載っています。
課題曲と、自由曲の1曲目。
載せていただいた方に感謝。
高校2年生
高校2年生の時に、新しい音楽の先生(男性)が新卒で赴任されました。
その年の、NHK合唱音楽コンクールの時の様子です。
演奏は自由曲ですが、この写真は課題曲です。
県代表は、県立第一高校(女声です。もちろん)でした。
高校2年生の合唱コンクール(西部大会)です。
女声側
今見ても、明るくて良い顔です。ということは、そんな声、ってことです。
男声側
これだけの人数で歌っていたのですから。
音声(西部大会)はありません。
レコードが出ているのですが、私は持っていないのです。残念。
持っている人は知っているんだけど・・・。
音声(県大会)はYouTubeから。
セミの声が聞こえます。
セミが鳴いているんです。本当です。台風の影響?で県大会が延期になりました。そのため、過日、市内の小学校の講堂で県大会が実施されたのです。
この後、高校3年生になるタイミングで私は転校してしまいました。
普通は、しないよな、高校3年生で転校って。
そこから理系コースです。だって、転校先の高校が「理系のクラスしか空きがないから」って言うんですもの。
そのため、中学3年生の時からやっていた伴奏ともお別れしてしまいます。残念ですが、当時は仕方がありませんでした。
高校1年生の時には、クラブの先輩(上の方とは別の人)の伴奏をしました。なんでかなあ、理由は良く覚えていません。高校2年生の時には、また戻りましたけど。
でも、今でも基本は、このときのまま。
そう、競い合い、支え合って、より高みを目指す。だから、信頼関係が大切だと思うんです。もう、ほとんど「愛」と言って良い。
その基本は今でも変わりません。そのつもり。
最後に、高校2年生の3月に、コーラス部の定期演奏会で森脇健三の「碑」全曲を弾きました。これが最後です。
良い思い出です。
まだ、楽譜が出たばかりでしたっけ。
録音が残っていたら聞きたいものです。
恥ずかしいですが。
高校1年生の3月は、清水修の「山に祈る」全曲でした。これは苦い思い出です。
ここから、広島大学生編です。
大学2年生
大学では、男声合唱(グリークラブ)を始めました。
えっ?なぜ混声合唱ではないのかって?
それは・・・・
あんまり、他人(女性)と係り合いたくはなかったのですが、音楽にはかかわり合いたかったから、ですかね。
で、(学生)指揮者になりました。
いや、なっていなかったら、辞めてたなあ。
この曲で、男声合唱を知った、といっても過言ではありません。
知ったのは、高校時代です。
ですから、広島大学グリークラブで最初にやる曲にこの曲を選ぶのに、何のためらいもありませんでした。
あとから聞いて知ったのですが、この曲は演奏会では後半に持ってこられるような、つまり、演奏会のメインとなるような曲なんだそうですね。
第1ステージに演奏しました。
上の演奏は、無伴奏(アカペラ)ですが、当時、広島大学グリークラブには、それはもう、ほれぼれするような伴奏を弾く方がいたんですよ。
伴奏は演奏だ!
教えていただきました。
大学3年生
私が大学1年生になる少し前から、グリークラブのメンバー数が目に見えて増加しだしたのだそうです。
で、合唱コンクールに出るかどうか、というのが毎年議論になりました。
3年生になる時にも、メンバー総会で相当モメました。結果として、出ることになりました。
当時のグリークラブの決まりとして、
「県大会は、学生指揮で演奏する」
というのがありました。
で、出ました。私の指揮で。
その時の結果がコレです。
まあ、当時、男声合唱で有名なS高校も含めての評価ですから・・・・そういうことです。
貧乏大学生ですから、合宿には、公共の施設(国立青年の家、等)やお寺を利用しました。
お寺の本堂で、ご本尊(阿弥陀如来?)を前に
「主よ、憐れみたまえ、アーメン」
なーんて、歌っているわけです。それを見ていた、お寺の方から拍手をいただいたりして・・・・。
良い時代でした。
3年生の時に、クラブが創立20周年を迎えました。
で、「何しよう?」と考えました。
この年も、合唱コンクールに出場して、まあ、難しい曲(三木稔:もぐらの物語)を演奏しました。
でも、「私らしい音楽」といったら、なんでしょう?
「私がやるべき音楽」とは、何か?
一生懸命考えました。
思えば、心の奥底にある、「わだかまり」を、一歩づつ解決している人生だったと思います。今も思っています。
「高校時代の満たされない思いを解決しよう!」そう思いました。
そして、熊本高校グリークラブに手紙を書きました。
定期演奏会の1ステージ位は、肩の凝らない「楽しい」ステージにするように心がけました。
静止画像ですが、雰囲気はこんな感じです.
当時の国立大学生の精一杯?のオシャレ?です。顔の異様に「黒い」人がいますが、黒塗りしてます。
「もぐらの物語」の演奏風景です。
写真は「男声合唱の夕べ」のものですが、音声は定期演奏会のものです。御安心を。
いや、こっちの写真しか持っていなかったので・・・
私は、音楽って「理由なく共有・共感できる」モノなんだと思っています。
ですから、「これは、ヨソモノにはわからん」っていうのは、音楽にはならない。どんなに素晴らしくても、音楽にはならない。宗教にも、哲学にもならない。
・・・と、そう思うんです。
大学4年生
大学4年生になっても、クラブ活動はマジメに続けました。
さらに、4年生の3月(つまり4年生での定期演奏会が終わった後で・・・)に同級生だけで「フェアウェルコンサート」を開きました。
その1コマです。
合言葉は「クラブの練習にはチャント出席する」でした。
最初に、メンバー紹介をしています。
司会の女性の発音が良いでしょう?当然です!英語の先生のタマゴですから。
この場面は、段取りだけ決めて、ほとんどぶっつけ本番です。
さて、私は何をしたでしょう?
社会人になってから
社会人になってからは、音楽とはあまり付き合いはありませんでした。
50歳になる前に、軽い脳梗塞になりました。それでも、左下半身が麻痺して、職場に復帰するのに3週間ほどかかりました。
そのときの精密検査で、脳血管に瘤と異常が発見されました(AVM:脳動静脈奇形と言うそうです)。
2年ほど経過観察をしていましたが、瘤が破裂する危険性が出てきたので、手術していただきました。
瘤は、まあ、良いのです。カテーテルで、コイルを入れれば良い場合が多いので。私の頭にも入っています。
カテーテル(アンギオとも言うそうです。アンギオの語源は・・・・見た目そっくりです)は、それはそれで、それだけど(だから、何?)。
私の場合には、それでは足らないので、開頭して、クリップで瘤に行く血管を止めています。
さらに、余分?な毛細血管のカタマリを手術で取り除きました。これが結構大変だったんだそうです。普通は、開頭手術せずに、ガンマーナイフ(X線)で頭の外から異常な脳内の血管を焼き切るのだそうですが、異常な血管は脳幹の近くだし、それもダメ。だから、「開頭手術で切除するしかない」ということでした。
当の本人は、4月末に手術して「GW明けには退院だ」なーんて思っていましたが・・・・、何だかんだ、けっこう大変でした。手術には、18時間位(朝の9時過ぎ~明け方の4時位まで)かかったそうです。
どうも1週間~10日程意識がもどらなかったようです。
この時は、リハビリを含めて職場に復帰するのに5か月かかりました。
それまで、がむしゃらに働いていましたが、チョット人生観が変わりました。
(2018年2月17日追加)
そうそう、書き忘れていました。
リハビリをして、職場に復帰しました。それでも、1か月は自宅勤務でした。
その間に、身体障害者手帳を交付して貰いました。
あんまり使いませんが。
・・・
私なぞ、身体障害者を名乗れるモノでは、ありません。名乗ってはいけないんだと思います。
・・・
それは、置いといて。
で、外見はソコソコ普通(?)になったんですが、それでも、左半身が思ったように動かない(例えば、左足が思ったように上がらないので、よく小さな段差に引っ掛かる)のと、右目の前に壁が見えるのには、ちょっと困りました。
そう、左半身への障害・特に左目が少ーし内側を向いている(つまり、左右の目の連動に少しズレがある、ということ)がために、いわゆる「にわか斜視」になってしまったんですね。
・・・
「時間が薬だ」
なーんて思っていましたが、壁が見えるのも困るので、左目は手術しました。
左目の筋肉を少ーし、手術で緩めたんだそうです。
すごい!
今では、そんなことまでできるんだ!
普通は眼鏡で徐々に補正するんだそうですが、時間がかかるのと、牛乳瓶の底みたいな眼鏡(プリズム眼鏡というんだそうです)をかけるのがいやだったのとで、手術することにしました。
全身麻酔で、二泊三日でした。
・・・
治りました。医学ってすごい!
でも、今だに、目をつぶって、片足では立てません。
2016年1月の私
これも1度やりたかったんです。
チョット音声が奥まって聞こえます。
「アカンベー」だけは、やれたかなあ。
そうそう、伴奏の方と衣装の色がかぶっていますが、これは、タマタマです。本当に。
私が持っていた、この曲と広島大学グリークラブのイメージが「赤」なので、漠然と「衣装は赤だなあ・・・」と思っていて、タマタマ、ネットで真っ赤のジャケットを手に入れたので、こうなりました。
ちなみに、私の蝶ネクタイも赤です。わかりました?
もっとドタドタと、もっと粘着質で、もっとイヤらしく、そして、もっとかっこよく歌いたかったなあ。
もっと言葉を!
もっと心を!
もっとパワーを!
もっと自由を!
想いは尽きませんが、取り戻せません。次です。
自分の思いを相手に伝えることの、何と難しいこと!
これは、ある意味「お願い・懇願」といって良いと思います。
今はやりの「想いは通じる、願えば実現する」・・・そんなことはありません!それは「上から目線」です。
そう思った瞬間に、アナタは間違った道に足を踏み入れています。
1つは、それが(今はやりの,表面的な,薄っぺらい)テクニックだからです。
もう一つは、それに心がこもっていないからです。心がこもっていないと、人は動きません。
そして、アナタがいないからです。
言い過ぎましたかね。
そうは思いませんけどね。
2018年4月22日
この頃、SAX(読み間違えないように!)を習っています。
その教室での発表会です。